雛たちの手によって大名は葬られた。
黒川は自分の領土と平行し、亡くなった大名が所有していた土地の大名となった。
これで黒川の統治する領土は格段に広まったことになる。 雛たちに大名暗殺を命じた黒川は、その領地で先に後ろ盾をつくっていた。 大名が死んだのち、自分が大名の座につけるように先に手を回していたのだった。その日、神威は雛のもとへ向かっていた。
大名を殺したあの日。
血だらけの刀を手に戻ってきた雛を見て、神威の胸はひどく痛んだ。覚悟はしていた、こうなることもわかっていた。
しかし、実際目の当たりにすると、神威の胸は締め付けられた。
あんなに心優しい雛が人を殺める。
それは、彼女にとってどんなに辛く苦しいことだったろう。どれだけ葛藤しただろう。あの日、雛は屋敷へ戻った後、伊藤に報告するとそのまま何事もなかったように姿を消した。
何も言わず、感情も出さず、ただすべてを淡々とこなしていることが、余計に神威の心をざわつかせた。雛は感情を殺している。
自分を殺し、任務を遂行することだけに集中しているように見えた。こんなことが続けば雛の心が壊れてしまう。
こんなことになるんだったら、止めておくべきだったかもしれない。 雛が決めたことだ、彼女の志を邪魔してはいけないと思い、見守ったのが間違いだったのだろうか。考え事をしている神威の目に、雛の姿が飛び込んできた。
そちらへ足を踏み出そうとした神威だったが、やめた。
その隣には、宇随の姿があった。神威は物陰に隠れ、二人の様子を観察することにした。
「なあ、雛……胸を張れ! おまえは人に誇れる立派なことをしたんだ」宇随が必死に話しかけるが、雛はただ何も言わず、空虚な瞳を向け続けている。
「あの大名は悪党だったんだ。
民から多くの税を巻き上げ、自分だけが贅沢してた。身分制度を強化し、貧富の差を大きくしようともして宇随は雛の瞳に吸い込まれるように、ゆっくりと顔を近づけていく。「おい!」 突然の声に驚き、宇随は我に返り、動きが止まった。「おまえら、こんなところで何してるんだ!」 神威が急ぎ足でこちらへ向かってくるのが見える。 その表情はなぜか怒っている? ように感じられた。「あれ? 俺……」 宇随は素早く目を瞬かせながら、何かつぶやいている。 宇随がいったい何をしようとしていたのか、雛にはその意図がわからなかった。 それよりも、神威がなぜここにいるのかの方が気になった。「神威さん、どうしたんですか?」 雛が不思議そうに尋ねると、神威は視線を逸らして話し出す。「水が飲みたくて……起きたら、おまえら二人とも布団にいないから、心配で探してたんだ」 「あ、そっか。ごめんなさい、心配かけて。 私がいけないんです。宇随さんは私を心配して探しにきてくれたんです。 皆さんにこんなに心配かけてしまって、私は駄目ですね」 申し訳なさそうにする雛を、神威が優しく諭す。「もういい。体が冷えるといけないから、もう寝なさい」 「……はい」 二人にお礼を言うと、雛は素直にその場から立ち去っていった。 神威と二人きりになった宇随は、妙に居心地の悪さを感じ、さっさとその場を去ろうとする。「さて、俺もそろそろ寝ようかなー」 宇随が立ち上がり、そっと歩き出した。「おい」 神威の低い声が宇随の耳に届いた。「は、はい!」 宇随は恐る恐る、ゆっくりと神威の方へ振り返る。 神威はわずかに下を向いており、表情が読めなかった。「おまえ……さっき斎藤に何しようとしてた?」 「え? えーと、あんまり覚えてなくて。意識が飛んでたというか……」 宇随が口を濁していると、神威が宇随の目の前に立ち睨んでくる。「変なことしようと、してないだろうな?」
皆が寝静まり、夜の静寂に包まれた頃。 神威のことが気になって眠れない雛は、一人縁側で夜空を眺めていた。 大きなため息が、雛の口からこぼれた。 そのとき、雛の肩に羽織がそっとかけられる。「どうした? 眠れないのか」 優しい笑みを浮かべた宇随が、雛の隣にそっと腰を下ろす。「宇随さん……ありがとう」 雛が小さく微笑み、お礼を言う。 照れくさそう笑った宇随は夜空を見上げた。「星が、綺麗だな」 しばらく二人は夜空を眺めていた。 いつもはよく喋る宇随も、その時はなぜか静かだった。「俺さ……孤児だったんだ」 急に宇随がぽつりとつぶやいた。 突然の告白に驚いた雛は、宇随を大きな目で見つめる。 宇随は夜空を眺めながら、懐かしそうに目を細めた。「でも、俺は恵まれてた……今の家族が拾って育ててくれたんだ。 父親は農民で、そんなに裕福でもなかったし、金に困ってた。子どもを拾って育てる余裕なんてないだろうに、自分の子と同じように愛してくれたよ。 本当に感謝してる。 だから俺が一旗上げて、家族に恩返ししたいんだ。 もちろん俺だって、それが世のため人のためになるなら、それに越したことはねぇって思う。 こんな俺でも役に立てるんだって、嬉しいしさ」 宇随は照れくさそうにはにかんだ。 なぜ彼がこのような話を始めたのか、意図はわからなかった。 しかし、こんな大切な話をしてくれるということは、信頼されているのだ。と思うと、雛は嬉しかった。 雛は静かに、宇随の話に耳を傾けた。「俺、バカだからうまく言えないけどさ――おまえはすごい奴だと思ってる。 雛のその力を、悪いことに使えば世界は悪くなるし、良いことに使えば世界はきっとよくなる。 おまえがその力を使うことによって、きっと助かってる奴が絶対にいると思う。 苦しみや悲しみから解放される奴が、これからもおまえを待ってる」 宇随は真剣な
舞と呼ばれた女性は、おしとやかな足取りでゆっくりと神威の側へ歩いてくる。 そして神威の前に立つと、可愛い笑みを向けた。「神威様にお会いしたくて……。 屋敷を訪ねたら不在でしたので、仕方なく町を散策していましたの。 そしたら、あなたをお見掛けして」 「言ってくだされば、私から会いに行きましたのに」 「いえ、あなたの邪魔になりたくないもの」 会話の内容と二人の雰囲気、そして舞の神威を見つめる瞳。 これだけ揃えば、雛にだってわかる。 二人は恋人同士なのだと。 雛はなんとなく居心地が悪くて、どうしたものかと下を向いていた。 すると、雛に気づいた舞が神威にそっと耳打ちする。「あの……あの方は?」 舞の視線の先に、雛がいることを感じ取った神威は、雛を一瞥してから舞に微笑みかけた。「ああ、彼は私と同じ隊の者です」 「男性……なの?」 舞が雛を上から下まで舐めるように見た。 同性からだと、女性だと見破られてしまう恐れがある。女性の感は計り知れない。 そう思い立った雛は、慌てて舞の方に駆け寄り挨拶した。「は、はじめまして。斎藤雛と申します」 「雛? 女性みたいな名前ね」 雛はしまった、と思ったがもう遅かった。 余計に事態を悪化させてしまったかもしれない。 すかさず神威が助け船を出す。「舞さん、名前など関係ないですよ。 彼の剣の腕前は、隊一です。そんな女性がいると思いますか?」 「まあ、あなたより強いの?」 舞がすごく驚いた表情で雛を見つめている。 神威が慈しむような眼差しを雛に向け、静かに答えた。「そうですね……たぶん」 「まあ、それはすごい! 斎藤さん、お強いのね」 舞が雛に微笑みかける。 雛は神威の機転に感謝しつつ、複雑な心境で舞の笑顔に応えたのだった。 神威と舞が二人きりで話している姿を、雛は遠
雛は神威と共に町を散策し、買い物したり美味しいものを食べ、一日を満喫した。 一日の終わりに、二人は夕日が見える川岸に辿り着く。 そこへ座り、景色を堪能しながら、のんびりと過ごした。「あー楽しかった! 一日があっという間でした」 雛が笑顔を向けると神威は優しく微笑む。 不思議だ。 彼といると雛は自然体でいられた。 本来の自分に戻れる気がする。 暗殺部隊のリーダーではなく、平凡な一人の人間に。 偽りの男の雛ではなく、ごく普通の女の雛に――。「よかった」 神威が夕日を見つめながらつぶやいた。「何がですか?」 「君の笑顔が見られたから」 雛はその言葉に驚き、神威を見つめる。 夕陽に輝く横顔が眩しくて、思わず見惚れてしまった。 振り返った神威の瞳に吸い寄せられるように、雛は視線が離せなくなった。「あの一件以来、君は笑わなくなってしまった。 俺は悔やんだよ、あの時止めておけばよかたって。 ……もしも、君の負担が大きいなら、隊を抜けた方がいい。 君のやりたいことなら、別の形で成せばいいんだ。他にいくらでも方法はある」 神威の心配する気持ちが痛いほど伝わってきて、雛の目頭は熱くなった。「心配していただき、ありがとうございます。でも、私は大丈夫です。 人々が困っているのに何もできないなんて、そんなのは絶対に嫌なんです。 私にできることがあるならやりたい。 それがたとえ茨の道だったとしても……いつか平和な世の中で、皆が笑って暮らせる時代がくるなら、私はこの身を捧げます」 雛は自分の今の気持ちを正直に打ち明け、神威に微笑んだ。「……それに、今日神威さんとご一緒できて、なんだか元気になりました! やっぱり神威さんはすごい人です」 とびきりの笑顔を向ける雛を、複雑そうな表情で神威は見つめた。 そして何か言おうと神威が口を開いた、そのとき、「神威様?」
雛たちの手によって大名は葬られた。 黒川は自分の領土と平行し、亡くなった大名が所有していた土地の大名となった。 これで黒川の統治する領土は格段に広まったことになる。 雛たちに大名暗殺を命じた黒川は、その領地で先に後ろ盾をつくっていた。 大名が死んだのち、自分が大名の座につけるように先に手を回していたのだった。 その日、神威は雛のもとへ向かっていた。 大名を殺したあの日。 血だらけの刀を手に戻ってきた雛を見て、神威の胸はひどく痛んだ。 覚悟はしていた、こうなることもわかっていた。 しかし、実際目の当たりにすると、神威の胸は締め付けられた。 あんなに心優しい雛が人を殺める。 それは、彼女にとってどんなに辛く苦しいことだったろう。どれだけ葛藤しただろう。 あの日、雛は屋敷へ戻った後、伊藤に報告するとそのまま何事もなかったように姿を消した。 何も言わず、感情も出さず、ただすべてを淡々とこなしていることが、余計に神威の心をざわつかせた。 雛は感情を殺している。 自分を殺し、任務を遂行することだけに集中しているように見えた。 こんなことが続けば雛の心が壊れてしまう。 こんなことになるんだったら、止めておくべきだったかもしれない。 雛が決めたことだ、彼女の志を邪魔してはいけないと思い、見守ったのが間違いだったのだろうか。 考え事をしている神威の目に、雛の姿が飛び込んできた。 そちらへ足を踏み出そうとした神威だったが、やめた。 その隣には、宇随の姿があった。 神威は物陰に隠れ、二人の様子を観察することにした。 「なあ、雛……胸を張れ! おまえは人に誇れる立派なことをしたんだ」 宇随が必死に話しかけるが、雛はただ何も言わず、空虚な瞳を向け続けている。「あの大名は悪党だったんだ。 民から多くの税を巻き上げ、自分だけが贅沢してた。身分制度を強化し、貧富の差を大きくしようともして
「私に、欲しいものなどありません」 淡々と言うその声音に、底冷えするような恐怖を感じた大名の顔は青ざめていく。「では……どうすればいいのだ?」 大名は慄きつつ、雛の表情を必死に汲み取ろうとする。 しかし、返ってきた言葉は期待を裏切るものだった。「……死んでください」 大名の瞳が大きく開く。 何か言おうとしたが、そのときにはもう既に雛の刃が大名を貫いていた。 一瞬の出来事に何が起きたのか把握できない大名だったが、じわじわとやってくる痛みで事態を把握する。 大名を貫く刃の先から、血がポタポタと滴り落ちていく。「くっ……き、きさま――ゆる、さ……ん。 この、ままで……すむと、おも……う……なっ」 雛が刀をすばやく抜くと、大名はズルズルゆっくり倒れていく。 そのとき、ようやく宇随が姿を現した。「雛!」 声に反応し、雛はゆっくりと振り返る。 その雛の様子に宇随は愕然とした。いつもの、雛じゃない。 感情のない虚ろな表情で、今意識がしっかりあるのかないのかも判別できない。 しかし、目だけは鋭く、しっかりと獲物を捕らえようと光を放っている。 ――今の雛に狙われたら、きっと誰も生きて帰れない。 そう感じるほど、雛は殺気と狂気を孕んでそこに立っていた。 見つめられた宇随は、初めて雛に恐怖を感じた。「おい……大丈夫、か?」 一歩踏み出した宇随は、近くで倒れている男に蹴躓いた。 その男が小さく呻く。「生きて、る……?」 どうやらここに倒れている男たちは大名を除き、皆生きているようだった。 雛が情けをかけて生かしたのだろうか。 宇随が雛を見つめる。 雛は血に染まった刀を持ったまま、ただ立ち尽くしている。 こちらを見てはいるが、焦点は定まっていない。 宇随は近づいていき、雛の正面に立った。「雛、もう終わった! 終わったんだ。